「河原乞食芝居 さすらいの旅日記」 松尾 空保
2001年10月27日土曜日。我らが劇団「マシュー団」は汚れちまった悲しみと、
私の母が朝4:30から握ったオニギリと共に京の都へさすらいの旅に出た。
一行は、半分仮死状態の異様なテンションで福岡空港へ着いた。
空港の手荷物検査では、予想通り京都での宣伝のために私が描いた大きポスターパネルが、
八百屋でスイカを吟味するかの様にしつこくノックされた。
(片岡のバックに入ったおもちゃの火薬銃の方がだいぶ危険そうなのだが…)
スチュワーデスさんともめながらもようやくパネルも同行させてもらえる事になった。
初めからこんなんじゃ、この先どうなるんだろう…。
一行が眠っている間に「あっ」と言うヒマもない程すぐに大阪の伊丹空港へ到着。
バスで京都駅へ向かう途中に加茂川が見えて、本番の足音が近づいてくるのを感じた。
ホテルへ荷物を預けると、マロさん(団長)のおじさん(元 東映)と早速賀茂川へ向かった。
京都では偶然祭りがあっていて、三条大橋の河原にもテントで店が並んでいた。
場所が決まると、音源も確保できぬままとりあえずホテルに戻り、本番まで各々の時間を過ごした。
役者の男2人は睡眠をとっていたが、私とコーロギちゃんは京都タワーのホテル宿泊者特別優待券を手にして
タワーからの京都市街の景色を充分に味わった後、本番の小道具を仕入れて部屋に戻った。
本番2時間前。衣装と呼べる衣装ではなかったため、悩みに悩んでお掃除おばさん〜京都バージョン〜に変身した。
これから本番だという実感はほとんど無く、ただ妙な興奮に包まれていた。
本番は成功するのだろうか。何人の人が足を止めるのだろうか。
本番1時間前。三条大橋に舞い戻り、空間をどう使うか再確認をした。
結局音源は手に入らず、照明は街灯、音源は最大限にボリュームを上げたCDラジカセとまさに「河原乞食芝居」になった。
メイク道具は100円SHOPで揃えた口紅etc…。京都では個々の本能的な力を発揮しようと、口紅のみでの挑戦。
しかし、衣装を身にまとい、口紅をつけて踊りの練習をするだけで立ち止まる京都人の足は少なくなく、
不安が自信へ、そして快感へと変わっていった。
そして向かえた本番。三条大橋から河原までの段を大きく使いながら、
イーバルソー(やすろう)とお掃除おばさん(私)の登場。
周囲を歩く人々の視線が一瞬にして私達に注がれた瞬間である。
自己意識は曖昧になりながらも、その気持ち良さは何度感じても新鮮で、そして確かなものだった。
それから支離滅裂(片岡)の登場。…とのんきに考えているヒマもなしに
すさまじいスピードで川を駆け抜ける片岡の姿が目に飛び込んだ。
打ち合わせでは川に入るのはトリだったはずじゃなかったのか?!言ってる事とやってる事がめちゃくちゃやん。
さすがは支離滅裂くん、ついでに走り抜ける男もやってくれたね。
さあ、ここで役者の理性、つまり堪忍袋ならぬ大脳皮質の緒が切れたわけです。
ソープ嬢ヤンスニ(コーロギ)登場も果たさずに3人で川へ橋への大騒ぎ。
ヤンスニが登場したのも川の流れで事前に流れ、そろそろ落ち着け踊りがあるぞという事で
ちょっと真面目に日本舞踊の故郷 京都にて、バリダンスを盛り込んだ「バリ舞」をご披露。
休む間もなくコントの様なコーロギちゃんとの絡み。
空間が広すぎて絡みという絡みではなかったがこれもまた人生 川のごとし。
体は時間よりも先回りして宙を舞い、言葉は空間を超えて踊るのだ。
ふと気がつくとその時間は人々の足を呼びとめ、空間は広い舞台となっていた。
そして私は短い人生の中でも未だかつて味わった事の無い熱いものが身体中に流れ込んで来るのを感じた。
興奮とも激しい感動とも言い表せぬ感覚だ。身体は自然とひとつになった。
心は熱く激しく躍動し全てが私になった。水も大地も街も人々も、全てがつながりを持ったのだ。
それは正確な時間としては芝居の後半であるが「美」なのだ。
川の中のなか、汗なのだろうか、ひょっとしたら涙とも知れない水が身体中に「美」として存在していた。
「完全」と言えるものの有無は信じ難いが、限りなく「完全」に近いものがそこに在った。
こんな感動を残して今回の京都公演は無事に幕を閉じたのだった。
本番は成功したのだろうか。何人の人が足を止めたにだろうか。
その答えはあの日の芝居と共に川の流れにのってさすらいの旅に出たらしい。
私達も遅れをとらないよう、次の旅へと向かわなければ…。

